トンカチのリサをめぐる座談会

2021. 9. 27

KNOCK ON, News,

リサ・ラーソンを振り返る。


2021年9月の日曜日

O:トンカチOB、S:デザイナー、K:トンカチ代表


—–


O:

では、どうしてリサと仕事をするようになったか、から話しましょう。言い出しっぺは佐々木さんだよね。


S:

そうそう。当時、パワーショベル(トンカチの前身となったカメラを作る会社)の企画で、写真とは全く関係ない人にカメラを渡して写真を撮ってもらおうというのがあって、それで私が3人の候補者を出して、それが、ディック・ブルーナさん、M.B.ゴフスタインさん、リサ・ラーソンさんだったんです。身の程知らずですね(笑)。


K:

で、全員にコンタクトして、リサだけがOKしてくれたんですよね。(この時は他の二人とは仕事ができなかったが、後年、ゴフスタインともブルーナとも仕事をすることになる)


S:

そう。何で私にカメラなの?って、面白がってくれたんです。


O:

当時リサは70歳を過ぎてたけれど、「ありを見る子供」(リサの作品)のような好奇心があった。その時リサがそう言ってくれなかったら、何もはじまらなかったから、これは運命のオファーだった。まぁ、今だから言えることだけどね。


 


(※写真)

はじめてリサを訪ねた日は雪だった。


S:

それがきっかけで、どうせ知り合ったのだから本業の陶芸で何かつくってもらいましょう、となって、ハリネズミをオーダーしたんです。


K:

なぜ、ハリネズミになったかというと、当時、私たちがイキモノカメラ(110フィルムを使うトイカメラ)を作っていて、そのメインキャラクターが佐々木の描いたハリネズミだったので、それに関連づけたんです。だからこのハリネズミは、佐々木のタッチに寄せて作ってくれているように見えますよね。リサはそれを意識してくれたんだと思います。


O:

リサが突然わけのわからない日本人からきた写真撮影のオファーを快諾してくれた、そのことに我々も嬉しくて、ここだけの関係にしたくなかったんだよね。最初にリサが面白がってくれたこと、これに尽きるよね。


一同:

そうそう。


S:

リサは仕事を始めるとすごく早くて、すぐに出来上がって。びっくりしたのが、20個以上できているんです。色違いとかのバリエーションじゃなくて全く形の別物といっていいハリネズミが20種以上ある。


K:

そこから選ばないといけない。


S:

どれもカワイクて、わーってなって、そんなの到底選べないんです。


K:

選べない、選べない。


O:

当時の私らは本業のカメラのほうが忙しくて、陶器作品を本格的に販売する販路も経験もなかったので、悩んだあげく3つに絞った。それがイギー、ピギー、パンキーとして今も販売されている「三匹のハリネズミ」になった。


 


(※写真)

私たちにカメラを構えるリサ(リサのスコーネの別荘にて)


S:

最初はリサと私はマンツーマンのコミュニケーションをFAXでしてて、FAX文通みたいなことを1年くらい続けてました。FAXではお互い絵を駆使して説明しあってた。あの頃は楽しかったなあ~(と、遠くを見る)。


K:

リサとの仕事が本当に楽しくて、次にキーホルダーを作る案が出て、ここから段々プロジェクトっぽくなってきますね。リサとの仕事が楽しくて継続したいから次の仕事を作るって、ちょっと変わった動機でしたね。


O:

そう、ビジネスがすっ飛んでて、楽しいから続けたいってだけだったんだよね。それで、自分たちでハリネズミの陶器も作ってしまったから、これだけじゃ寂しいから他の陶器も仕入れようとして、最初は自分たちで仕入れるつもりはなくて、日本で少しだけ扱っているとこがあったのでコンタクトしたら、リサの作品を卸売したり広めるつもりはないって言われて、しょうがないから独自に輸入することにしたのね。


K:

とにかく当時リサの作品は一部の北欧雑貨を扱うような、いわゆる趣味の良いお店に、ほんの数点入っている程度でアクセント的な扱いでした。


O:

私たちは誤解を恐れずに言えば、北欧デザインの上段者が愛するレアなアイテム、という場所からリサを引き離したかったんだよね。よく当時いってたのは、これは手塚治虫だよ、と。日本人の心にある鳥獣戯画から手塚マンガ、宮崎駿に至る心の流れに触れるもんだよってことだったんだよね。だから、女子高生だって子供だって好きになるはずだって思った。北欧デザインという1つのジャンルの中に収めてしまうにはあまりに巨大なエネルギーだったんだよね。その当時、本気でそれを信じていたのは私だけだったかもしれないけどさ。


 


(※写真)

見せてもらったハリネズミのアイデア(リサの自宅のアトリエにて)


K:

それに皆、こんな動物ってみたことなかった。


一同:

そうそう。見たことなかった。


S:

どこか寂しげで、意志が強そうで。


O:

そう。本質だけが表面に出てきたら、こんな形になった。って形だった。相当アバンギャルドなのに、ポピュラリティーを一切失っていない。そこが衝撃だったのよ。


 


(※写真)

雪の中をリサの家に向う


K:

私らがリサを本格的に扱い始めた頃、アーチストのMさん(日本を代表する世界的アーチスト)が気に入ってくれて在庫を全部トラックに積んで見せに行ったことがあって、彼は「この人、やっぱキチ●イでしょ?」って開口一番言ってたからね。


S:

そのときに、あっ目利きが見たらやっぱりそーいうことなんだ、って思った。それは自分たちの自信にもなったよね。


O:

リサは仕事がとてもしやすい人で、何でも楽しく進められた。最初君らがリサに会いに行った時なんか、まるで子供でさ。大学出たくらいの2名に大人になれない1名だもん。そんなんでも差別しないんだよね。情熱とアイデアがあれば。


K:

リサはとにかく気をつかってくれる人。それもこちらが恐縮するような感じでなくて、エンターテイメントなんですよ、全部が。


S:

てぬぐいをプレゼントしたら次に会うときは頭に巻いてくれている。駅のホームで待っていてくれて、私たちのカメラを構えている。必ず近所で花を摘んできて活けてくれる。一人でいると、いいタイミングで声かけてくれる。こっちは言葉がしゃべれなくても、わかってくれようとする。私たちは言葉がなくてもわかりあえるよね、って毎回毎回いってくれるんですよ。


K:

私たちがスウェーデンにまだ馴染みがない頃なんか、リサがホテルを下見してくれていたり、そこに摘んだ花を届けてくれたり、会うと必ずどこか褒めてくれたり。最初に会った時なんか、リサは風邪だったのに、いっぱいしゃべって、いっぱい見せてくれて、遅くまで付き合ってくれてね。


S:

そーなんだよね。皆メロメロになっちゃうんだよね。お母さんのとこに久しぶりに来たみたいになっちゃう。


K:

そして上品なんですよ。


O:

当時の私たちは(今のトンカチもですが)ビジネスがちゃんとできる人っていなくて、全員が夢見心地な若者とちゃんと大人になてない人だったわけで、そこを大事に扱ってくれた感があるよね。


S:

でも仕事の指示はすっごく的確。


K:

リサは技術者の目を持っていて、常に工場でどう作るか、どう出来上がってくるかが全部見えてるんですよね。


S:

私は感激して帰りの車で泣いてたなあ。


O:

でも、リサと君らとの相性がよかったってことが一番だったよね。ビジネスの駆け引きはできないけれど、こっちも相当の空想家だったからね。


K:

リサの旦那さんのグンナルさん(故人)にもお世話になりました。


S:

最初、リサのキーホルダーを中国で量産することをなんか言い出しにくくてグズグズしてたら、やりたいことをはっきり言いなさい!って怒られた。


K:

私たちはリサが大量生産をどう思うかって不安があったんですよね。でも、リサはそんなことは全く気にせず、単純に自分の作品が他人の手で小さくなることを面白がってくれた。


S:

あのとき、グンナルさんに怒られて、私は変わりましたもん。


O:

本当?(笑)


S:

グンナルさんは本当にリサと1つのような人だったし、私たちにとってもリサと一体でした。コロナ以降、私たちはスウェーデンに行けてないから、グンナルさんと一緒でないリサには会ったことがないんですよ。


(※写真)

スウェーデンのリサの家にいく途中


O:

私はリサとは一回しか会ってないんだけど、やっぱり強い印象があるね。日本語でバンバンしゃべる私を面白そうに見てた。「こころ」っていう日本語をしゃべると、面白そうに「こ・こ・ろ」って言ってた。テレパシーで全部わかるような人だった。ちょっと似た人がいないような人だよね。


S:

「にしん」の「ん」にも反応してたよ。「ん」が面白かったみたいで(笑)。


O:

マイキーについては?


K:

あれはリサが娘さんのヨハンナさんがグラフィックのデザイナーなので、一緒に何か作りたいってことで出来た絵本「NUMBER BOOK」が最初です。その中にいたマイキー(当時まだ名前がなかった)に注目した佐々木が表紙にもってきた。皆で、この猫いいよねってなって、マイキーをスターにするぞって決めたんです。まるで芸能プロデューサーですね(笑)。


S:

マイキーは北欧デザインらしい清潔感と完成度があって、スタイリッシュでおしゃれ。他のキャラクターと違って、マイキーは北欧デザインの系統から出てきたデザイン的キャラクターなんですよね。それが他にはないんです。


O:

私らが当時よく言ってたのは、マイキーはラコステのワニであり、ウォーホルのバナナだって。物語の中から出てきた他のキャラクターとは違うんだって言ってたよね。背後に物語があればキャラクター展開はしやすいんだけど、物語をもたないマイキーはそれ自体がシンボルなんです。


K:

媚びてない、ちょっと不機嫌にも見える猫ですからね。


 


(※写真)

みんなで帽子をかぶっての「帽子パーティー」(リサのスコーネの別荘にて)


O:

とにかく、日本の陶芸マーケットは、その全部とはいわないけれど、リサ・ラーソン以降と以前では大きく変わって、リサの影響力は相当大きいと思う。ここも誰も言ってくれない部分なんだけどね。


K:

それまで陶器の置物が普通に女の子の部屋に飾られているってなかったですからね。


S:

トイカメラ(本格的機能をもたないおもちゃのようなカメラ)が写真というものを別の角度から照らしたように、リサは陶芸というものを別の角度から照らしたよね。


K:

両者は全く違うけど、私たちにとっては根本が同じだったよね。


O:

リサは2011年の震災を契機に、どんどん知られるようになった。あれがあって、落っこちたら壊れてしまう陶器になぜか注目がいった。壊れゆくものに愛おしさが生まれたと言うか、よくはわからないけど、不思議な流れがおきた。


K:

そしてユニクロさんがあって、2014年に松屋さんでの最初の展覧会があった。


O:

それまでフツフツと水面下で育ってきたものが一気に爆発した感じだったね。


K:

関係者の方に、久々にみた活気みなぎる物販コーナーって言われましたね。私たちは渦中にいたんだけど、すっごい迫力だった。無我夢中でしたね。会場に走ってきた子供が「マイキーがいたよ!」って叫んだのを聞いて、えっ、そんなことになってんの?って思った。私たち、人気がどれくらいあるかなんて、それまで実感できてなかったんですよ。


O:

我々は、楽しくやってきただけだからね。


S:

そして結局は予想外のところまで届いたよね。お母さんがいつも買いに行く梨屋の奥さんがマイキーのエプロンしてるとか、スタッフの子の田舎のおばあちゃんが、この猫スーパーで見たよって言うとか、私の友達がどっかで予約して買ってくれたとか、そんなリターンがあるって思わなかったもん(笑)。


O:

前身の会社のパワーショベルのカメラは、クラスに一人いる変わった子の為だけだったんだよね。自分たちもそう意識してた。でも、結局さ、大衆性はコントロールできないんだよね。それをするのはヤボってことなんだってトンカチでわかった。リサの大衆性はどこまでいくのかなんて誰にもわらない。


S:

そうだね。どーなるんだろうね。


一同:

わかんないねえ


K:

リサが私たちに教えてくれたのは、アーチストマインドと大衆性は対立しないってことですね。


K:

では、最後にリサから学んだことを各自一言づつどうぞ。


O:

エンターテイメントとして気遣いが出来る、その余裕こそが、結局はアーチスト性も大衆性も両方を育てるってことかな。


S:

続けるってこと。とっても簡単な言葉になるけど、いろいろな人をいっぱい見てきて、続けられる人って本当に少ないって思うから。みんな、入り口で引き返してしまう。私も72年間くらい引き返さないでいたい。


K:

人に優しくすることと、自分に厳しくすることは、同じだってことかな。私はどっちも得意じゃないから。


(※写真)

リサの家の窓から中庭をみたところ


(※写真)

リサの家の裏にあるスケートリンク


(※写真)

フィーカ(お茶の時間)は何度も何度もやってくる(カップはリサ、スプーンはグンナルの作品)



→リサ・ラーソン90周年特設サイト「Lisa Larson 90th Anniversary」はこちら


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