Knock On 7 ABOUT WORK (Lisa Larson Interview)

2019. 12. 12

KNOCK ON,

陶芸が仕事になるまで、生活のためにいっぱい働いたわ


2019年4月、ストックホルムのLisaの自宅にて


トンカチアーティストになるまで、どんな仕事をしました?

Lisaひと夏の間だけ、学校で電話の受付をしたのがはじめての仕事ね。昔住んでいた小さな村には電話交換機を使って、かかってきた電話を転送しなきゃいけなかったから。(笑)

トンカチ当時にしたらモダンな仕事ですよね?

Lisa そうね。同じ部署にいた素敵な女性にお願いされてその仕事を始めたの。

仕事はハードじゃなかったから、すぐに覚えたわ。月給はたしか25クローネくらいだったかしら。ただ、それはその夏だけの仕事。ヨーテボリの美術学校に行くことになってからは、生活のためにいろんな仕事をしたわ。夜間の掃除とかベビーシッターとか。実家からの援助も奨学金もなかったから……。

トンカチそうなんですね!何種類くらい仕事をしたんですか?

Lisaいろいろやりすぎて覚えていないわー(笑)。お給料は悪かったけど、プラスチックのマネキンの型作りとか。学校では毎年夏の終わりに企業研修があるの。初めの年はガラス会社で製作工程を教えてもらったり、実際に絵付けをさせてもらったわ。楽しかったー。ふふっ。ガラス細工の工場ってびっくりするくらい暑いんだけど、なんだか熱いガラスを運んでいる職人さん達がバレリーナのように華麗に踊っているように見えちゃって(笑)。おかしいでしょ!?ガラス細工の工房に行ったことはある?

トンカチいいえ、ないですね。

Lisa長い棒に息を吹き込んでガラスが形作られるのだけど、そのプロセスに夢中になっちゃうの。小さなガラスの塊が息を吹き込みながら、どんどん大きな器に変わって!ワクワクしちゃう。そのプロセスは何度見ても全然飽きないのよね。

トンカチ話を聞いていたら行って見たくなりましたよ!面白そうですね!!

Lisa私はガラス細工をつくるところまではさせてもらえなかったけど、溶解担当の人が吹きガラス職人になるよう勧めてくれたの。「ちゃんと教えてあげる!そうすればスウェーデンで最初の女性ガラス細工職人になれるよ。」とね。私もちょっと惹かれたけれど、まずは学校を卒業したかったし、工房はやっぱり暑くて。(笑)私にはハードすぎる仕事かなと思ったの。別の年には、デンマークの有名な陶芸家のところで研修をしたわ。えーっと名前は思い出せないのだけど、とっても有名でバスで観光客が見に来るほど名の知れた方よ。彼女は石塑粘土で作品をつくったり、ユニークな食器なども作っていたの。作業している姿に心引かれたし、デンマークという外国に行ったことも楽しい経験になったわ。

トンカチデンマーク語って難しいはずじゃ!?

Lisaデンマーク人はスウェーデン人が嫌いなの?って思うくらい私のミスをダメ出ししてきたわね。(笑)あ、そうそう!デンマークにいったときにウプサーライエケビーにも行ったわ。そこも陶芸工房なんだけど、今はもう残っていないの。驚くほどいろんなものを作っていたわね。リトアニア出身の優秀な女性デザイナーがいたんだけど女性像など刺激的な作品をつくっていたから沢山勉強させてもらったの。大学4年間でも貴重な経験だったわ。


 

陶芸との出会いは「偶然」のめぐり合わせ


トンカチどうして陶芸を仕事にしようと思ったんですか?

Lisaそれは本当に偶然なの。大学で特に何かを専攻していなかったから学長に呼び出されて。「何か特別に専攻したいことはないのかい?」と聞かれたとき、当時は陶芸家という存在さえ全く知らなかったから、頭にパッと浮かんだ雑誌で見かける「ファッションイラストレーター」って答えちゃったの。すると学長に「女の子達はみんなそう言うね」と言われて、すごく恥ずかしくなったわ。もっとちゃんと考えて、別の答えをするべきだったと。そのあと、勝手に陶芸専攻に入れられたの。おそらく誰もそこを希望しなかったんでしょうね。「この子はココにとりあえずいれておけ」みたいなかんじだったと思うわ。(笑)陶芸クラスはたったの4人だったしね……。

トンカチでも結果的にそこに入って良かったんですね!

Lisaそうよね。ただ不思議なことに、作業場に入って粘土や釜が焼ける香を嗅いだ瞬間「あ~ここなら気持ちよくやっていけるわ」と実感したの。その時から特別な何かを感じていたのかもね。

トンカチ人はだれでも初めからプロフェッショナルな仕事ができるわけではなく、何かをきっかけに成長してプロになっていくといいますよね。Lisaにとってその機会はいつ頃どんな風にやってきたのでしょう?


Lisaそれを感じたのは結構早かったのかも。大学では学生の特権で、教室や作業場は閉まらないの。それに作業場は地下にあったから用務員さんなど誰の目も届かないしね。自由に作業できたし、ご飯を食べて戻って、夜中の12時、1時に帰ることがほとんど。陶芸は轆轤の回し方を覚えるだけでもすごく時間がかかるの。そういう意味でも学校が自主性を重んじてくれたから、私はただひたすら練習や勉強ができたのね。陶芸のクラスには私ともう一人がとりわけ頑固でずっと練習していたのをよく覚えてる。隣の教室はテキスタイル専攻、近くには銀細工専攻の教室もあって「自分は他のクラスを専攻してた方がよかったのかも?」と惹かれたこともあったけど、結局そのまま陶芸に残ったのが正解だったのよね。行く気になれば5年間大学に行くこともできたから「私ももう1年……。」と考えていた矢先、当時スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマークが集まったスカンジナビアの美術大学のコンテストがあり、審査員だったスティグ・リンドベリから「もし良かったらグスタフスベリで研修してみないか」と手紙をもらったの。だけどグンナルも大学に行きつつアトリエをもらったばかりで、私もアトリエをもらえる契約をしたばかりだったから、ヨーテボリから離れる気は全くなかったわ。その後、グンナルの大学教授であり、尊敬する芸術家でもあるエルデル・ナミスにグスタフスベリに行くべきだと背中をおされたの。気になっていたところだし、素晴らしい芸術家がたくさんいるからアトリエを友人に貸してしまって、グスタフスベリに引っ越すことにしたの!それが26歳のときね、そこから今まではあっという間だったわ。(笑)


トンカチ 凄いタイミングですね!

Lisaなんだか私だけたくさんチャンスをもらって、本当にラッキーよね。不幸な幼少期を過ごした分、今はこうやって良い人生を送らせてもらえているのかなって。(笑)

トンカチそれは才能があったからですよ!

Lisa自分でも信じられないほどラッキーだったの!

つらいときもそこは受け流して、ただただ作品づくりに没頭したの


トンカチ自分の好きなことを仕事にするには、初めは何かを犠牲にすることもあると思います。何か犠牲にしたものってありますか?

Lisa犠牲というか、本当に収入が少なかったことかしら。笑っちゃうくらいね。でもまあ、そこは抗わず人生の流れに身を任せてみたわ。私の世代の作家は「売れるものは悪いもの、あまり売れないものを売るのがステータス」というイメージが根強くあって。もしかしたら貴方も聞き覚えがあるかしら……。(笑)昔、工芸コミュニティーの会員はみんな私の作品を認めなかったの。私がグスタフスベリ社で作ったものが良く売れていたから、お金をだいぶ稼いでいると勘違いされたのかも。実際は絵付け師や男性のデザイナーの方が給料が高くて、私はもうこれ以上低い給料はないだろうと言うくらい貰っていなかったのに。月に500クローネだけよ。日中、歯医者などに行くのに仕事をちょっと外しただけも給料から引かれたんだから。本当に給料が低かったの。

トンカチ 「スウェーデンの平等の精神はどこに!?」と問いたくなりますね!

Lisaそうよね!新入社員で芸大卒の若い男の子達のほうが断然高いお給料もらっていたからね。中には給料がアップした人もいたのかもしれないけど、私は一切上がらなかったわ。交渉してもダメだとわかっていたので聞かなかったし。生きていく上で必要最低限の収入があれば大丈夫だと学ぶ機会だったのかしら。

トンカチあなたの「何も犠牲にしない人生の秘訣」とはなんでしょう。

Lisaうーん。そうね。よくわからないけど、いつも楽しんでいることかも。私はいつも、頭の中で描く作品を実際に作ることを想像してワクワクしているわ。もちろん、その時々の気分によって自信でいっぱいのときもあれば、つくった作品すべてダメだと思うこともあるけどね。時々、釜を開けてみて「あ!これはよくできてる!!」と想像以上の出来栄えに嬉しくなるわ。つい最近のことだけど、恥ずかしくて見たくもなかった作品を改めてみるとそんなに悪くない!むしろいいじゃない!って思ったことも。以前だったら気に入らない作品はハンマーで叩き割っていたのに……。

売れる作品なんてつくれない。いつもアイディアをかたちにすることだけを考えてるわ


トンカチもったいないですよ~仕事でもらう「お金という対価」ってどうとらえていますか?

Lisaグンナルと出会ったのが、28歳になったばかりの頃。グンナルは私よりずっと賢くて、お金のことはもちろん、いろんなことを教えてくれたわ。彼が会社をつくって、私は一切経済的なことを考えず芸術家になることにだけ力を注ぐと2人で決めて活動をはじめることに。グンナルが兄弟と小さな工房を開いて、ショーウィンドウや看板を作っていたとき「例えどんなに貧しくても、お金が入ってこなくても、私はお金のために働いてるのではないよ。自分がやりがいを感じる仕事のために働いているんだ。」と言ってたことは、今でも常に私の心支えになっているわ。お金のためではなく、自分のつくりたいものをつくるってね!でもこの業界では売ろうとしないと仕事がなくなってしまうでしょ。その点、私の作品はよく売れた。自分でも全く想像していなかったから、ラッキーだったとしか思えないわ。でも、売れるかどうかなんてだれもわからないし、きっと売れるはず!と考えながらつくることはできないわ。これまでシーズンごとに有名百貨店やお店の沢山のバイヤーにあったけれど、じっくり品定めして「このシリーズは売れる!あの皿がいい!」と言って仕入れるものの、全てが人気アイテムになるとは限らないの。随分前のことだけど。ある老舗百貨店の年配セールスマネージャーが「自信満々で、それは売れる!ぜひ欲しい!」などと言ってきたけれど、「実のところ本当に売れるかどうかは誰にもわからないんですよ。」と教えてくれたのをよく覚えているわ。


歳をとった分疲れやすくなったのは事実。でも、アーティストとして根っこの部分は変わっていないわ


トンカチ作品やLisaさん自身への人気が高まっていることについてどうお考えですか?

Lisaうーん、よくわからないけど、こんな風に歳を取るともう辛いと感じることも。昔は嬉しいと思ったのにね。今は自由な身になりたいと感じることのほうが増えたのが正直なところ。体力的に厳しいと「ラジオで一言お手紙を書いてください」と頼まれて嬉しいはずなのに、少し辛いと感じちゃったりね。とはいえ、沢山のお手紙を頂いて、私から愛を感じてもらったり、誰かに良い影響を与えられたことを実感させてもらえるから、本当に嬉しいし幸せよ。

トンカチLisaにとって過去の作品(仕事)と、今の作品(仕事)に大きな違いはありますか?今の自分が過去の作品を見たとき、過去の自分が今の作品をみたときどう感じるのでしょう。

Lisa作品の方向性や伝え方が大きく変わったとは思っていないわ。あくまでも自然体で作っているの。ただ今まで様々な技法に挑戦してきた中で、ちょっぴり作品の雰囲気が変わることも仕方ないこと。大きなブロックを糸で切ってから像を作る方法や、轆轤を回してU型に作る方法、粘土の種類など変えることもしたわ。ただ、表現の仕方の本質は過去も今もまったく変わっていないはず。いつもスケッチブックを持って出かけ、町の風景やテレビで見たシチュエーション、劇場でみたお芝居、ダンスのポーズなど、つくってみたいと思ったテーマを描くのだけどいっぱいあって途切れることはないくらい湧いてくるの。でも、自分で描いたイメージからだいぶ変化することがほとんどよ。私の作品作りにセオリーはないから、出来上がるまでお楽しみなの。作品はできあがるといつもグンナルに感想をきくことにしているの。毎回聞いているから、的を得た感想が聞けて参考になるのよ

トンカチそんなに近くに良いアドバイザーがいてうらやましいです。ちなみに、仕事のやりがいを「収入」や「作品の人気」以外で感じることはありますか。

Lisaアートに理解のある識者に自分の作品を認められたときは素直に嬉しいわ。褒めてくれると思ってもいなかった人からもね。

人間だもの、気持ちの浮き沈みはあって当然。だからこそ、そこを大事にして赴くままに歩いてきたわ


トンカチ仕事はプレッシャーとの戦いでもあるし、かえってそれがモチベーションになることもありますよね。リサはプレッシャーとどう付き合っていますか?

Lisaほとんどプレッシャーのおかげで仕事がはかどるようなものよ。たくさんアイディアが出てくるけど、プレッシャーにかき消されちゃうほど。必要不可欠な要素なんだけど、あまりに大きすぎるプレッシャーはかえって何も生まれないから嫌かな。(笑)

トンカチ今の仕事をしたくない、辞めたいと思ったことはありますか?

Lisaええ、もちろんありますとも。いまでもたまに全く違うことをやってみたくなることだってあるわ。特に、はじめた頃は気になっていたテキスタイルをやってみたくて。粘土はくどくどしていて重いし、釜の温度によって色も変わっちゃう。ほかにも陶芸の面倒な一面が嫌になって……。テキスタイルの生地が出来上がる瞬間が面白いし、テキスタイルの方が気楽でいいのかもと思ったの。日本もスウェーデンもガラス、木、テキスタイル、どの素材をとってもトップクオリティーだからクリエイター魂がくすぐられることがしょっちゅうあるわ。

トンカチところで、どうして今もなお仕事を続けているのでしょう。

Lisaおかしいかもしれないけど、仕事を辞めたいと思わないのよね。まだまだ沢山のアイディアが出てくるから、それをつくりたくて。だから続けているの。それだけよ。

もっと自分を信じて。チャレンジを忘れちゃダメよ 


トンカチ「平凡な私に人生が楽しくなるような仕事が見つけられるかな」と不安に思っているひとに何かメッセージを。

Lisaジレンマよね。私も沢山若い人たちに会ってきたけど、せっかくいろんな才能を持っているのに何もできないと思い込んでいる人が多いわ。どんなアドバイスが適格なのかわからないけど、自分のアイディアを信じて頑張り続けるしかないのかも。そして実現するために、信頼している人から意見をもらうのもおすすめ。私からのアドバイスはきっと役に立たないわ。(笑)あと、思い切って行動に移せない人も多い気がするの。才能のある音楽家にしてもそうだけど、続けること、自分の考えをしっかり持つこと、アクティブにチェレンジすることはとても大事なことよ。まっ、必ずしもそれが正しいともいいきれないから……。アドバイスするのって難しいわね。グンナル、もしあなただったらなんて答える?

Gunnarえ?

Lisa芸術の才能があるあなたならなんて答える?

Gunnarそうだなぁ。自分自身を強く持つべきだね。

Lisa私達には3人子どもがいるけれど、いずれも芸術の才能に溢れていると感じているわ。長女のヨハンナは高校生のとき成績がオール5ととてもよかったし、縫い物や編み物などの手芸、イラストを描くことも上手だったわ。でも将来の夢は決めていなかったの。そんなある日、カナダ在住の知人女性がヨハンナに夏限定でベビーシッターを頼んだの。ちょうど学校を卒業したてだったし「やった~!どうせ何するか決まってないからやってみる!」と喜んで引き受けていたわ。彼女はまだ学校が決まってなくて…。1年間自由な時間があったから、日中はベビーシッターの仕事をして、夜はアートの勉強を。帰国する前にアメリカのカリフォルニアで旦那さんのジミーに出会い、二人はインドに一年、パキスタンに短い間住んでいたの。そんな時、彼女から連絡がきたときは驚いたわ。「私の今までの作品をストックホルム芸術大学に送って、グラフィックデザイナーのコースに申し込んでくれない?」と言ってきたの。私達はグラフィックデザイナーという言葉さえ知らなかったけど、グンナルが大学に申し込み無事入学することに。どうしてグラフィックデザインという新しいジャンルを選んだのかは、未だにわからないけどね。

トンカチ当時にしてみたら、それは新しく斬新なものだったのでは?

Lisaそうね。それからヨハンナはその専攻で大学に行き、卒業後に結婚してスコットランドに引っ越したわ。自分でグラフィックデザインの会社をおこしていたけれど、仕事がなくてね。教師の仕事をしていた旦那さんが彼女を養ってくれていたの。そんなときよ。日本から仕事のオファーがきたのは。彼女は「これは楽しそう!」と乗り気だったけど、私はユニークピースの製作や展覧会に向けた準備で手いっぱい。時間が足りなくて難しいと思っていたところ、彼女は「このチャンスを逃したくない!」と言って私の背中をおしてくれたの。今はそうして良かったと思うし、彼女が私のイラストをもとにいろんなものを作っていることが嬉しいわ。

これからも暮らしを大切にしつつ作品をつくり続けたい


トンカチ毎日の習慣はありますか?またどうして続けているのかも教えてください。

Lisa以前は気功を毎日。最近はお休みしてたかけど、またはじめようと思っているの。自分の身体には合っていて、とてもいいの。

トンカチグリーンなど何か栽培を楽しんだりすることもあります?

Lisa最近カタログを見ながら、窓際でトマトでも育ててみようかなと思っていたところ。そしてこっちの窓際はお花がいいかしら。でも、水やりを忘れちゃうからね。何かを育てるのはあまり向いていないかも。

トンカチ今、待っているものってありますか?

Lisa自分がスケッチしたものを元に、「すごくいい!」と感じるものをつくってみたいわ。まだ使ったことのないようないろんな素材で。今も国内外のたくさんの会社からオファーをもらって、ガラス、木、テキスタイル、陶器などいろんなリクエストがきているの。やることはたくさん。どこまでやれるか分からないし、分かるよしもないといったところかしら。(笑)


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